たまにふと日常で生きてて、もちろん家族や友人やら職場の同僚やらに囲まれているのにふと、なんか寂しいなと感じる事がある。
特に夜、そうまさに今w
そこでなんで人間って、人に囲まれていても充実した時を過ごしていても何をしても、孤独を感じるんだろうとふと疑問に思ってみる。
まぁ簡単にGoogle検索をすると、この記事が出てくるのですが。
このサイトで紹介されている動画に、理由が色々と書いてあります。
結論から言うと、人間が古代から培ってきた「生存本能」って事がわかります。
確かに太古の原始時代、人は群れで生活をし協力をしあわないと生存する事さえできないというのは納得。
つまり、自然とコミュニケーションがとれない社会に入れない人は自然淘汰されたのが古代なんだなぁと。
そして確かに孤独って、主観的な感情ですよね。
周囲から見ると、人気者で名声があってすべてを持っているって思う人なのに、実はとても孤独を抱えてて心の病を患っていたなんて告白されるなど確かに日常にあふれている話です。
でもやはり、孤独な人の一番欲しているものは「社会とのつながり」というのも納得。
孤独につながるのは死、だから人は孤独を恐れる。
そして孤独を感じるというのは、当たり前の感情であり食べ物を食べるくらいの頻度で襲ってくる当たり前の感情。
って考えると、少しは楽になったりするのではないかとこの動画は提言しています。
確かに色々と考えると、そうかもしれません。
私は、現状あまりリアルの友人たちと最近はあまりあってはいませんが、やはり自分の中で寂しいとか忘れられたくないとか思うときに、友人との繋がりを求めて連絡とかをして、会って実際対面で話したりします。
それも社会とのつながりを求める行動で孤独感を埋める行動ですよね。
そしてリアルの人と会わなくてもネットの世界(Twitter等のSNSやMMORPGなどのコミュニケーションのとれるゲーム等)で、誰かしらと関わりを持とうとする。
この行動が、割とあっさりと取れる人もいれば自分から行動を起こせない人もいる。
誘われ待ちというか、それによって自分の承認欲求というか孤独感を埋める人もいます。
確かに孤独感にさいなまれすぎてる人、社会との繋がりがあまり持てない人、職を失っていたり家族がいない人など、そういう人って社会や他人に関して警戒心が強いのもあるし、すべての人が自分に敵対的に見える傾向は強いと思います。
たとえそういう人に手を差し伸べたとしても、時にはその手を思いっきり払いのけられたり、時には罵倒されたり、思いもよらず傷つけられたりしますね。
過去に何度かそういう経験はあります。
若干、子供が愛情を確認する試し行動と似ているんですよね。
そういう対応をされたとき、自分が孤独感を感じず余裕がある時は対応できるのですが、自分自身が参ってしまっているときにそんな行動をされると、もうどうしていいか理解できなくなってしまうときがあります。
いわゆる「心が折れた」という表現をするのがこの時かもなと思ったり。
それでも少し時間を置くと、またその態度をとられても平気になってきたりするから、人ってわりとしぶといなwって思ったりする事も多々あり。
そういう事を繰り返しながら、人って人を信用していったり大切に思ったりする様になるのかなとなんとなく思いました。
孤独と向き合う事。
少しでも社会と繋がりを持とうとする事。
結構、周りにも眠れない人々が多々いるので。
そういう人が少しでも眠れますように。
と優しい気持ちを込めて、わたしもそろそろ孤独と向き合うのをやめてゆっくり眠ろうと思う。
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