SNSの取り扱い

思うこと

そういえば先日友人から、Twitterでゲームアカウントで婚約報告をしたらいろんな方面で誹謗中傷を受けた人がいた、という話を聞いた。

よくゲームアカウントと日常アカウントを混ぜるなと批判する人達が一部いるが、別にわたしは個人の自由だしなぜ文句を言われなければならないのか、正直よく解らない。

自分もこの自分のサイト(ほぼブログ記事)と、Twitterのゲームアカウントと日常アカウント含め、完全にその世界のキャラクターを演じ切るのなんて到底できていないのだ。

このサイトでいえばゲームと日常がまぜこぜである…まぁタグわければいいかって思って書いてる。

 

ここ最近で発展を遂げたのは、やはりSNS文化だなぁと思う。

自分が若い頃はSNSを使っているのはむしろ少数派で、まだいまだに残っているmixiとかGREEとかが2強だった時代。

その他はバンギャルが魔法のiランドでモバイルのHPを作成したり、前略プロフィールで自分の顔や趣味趣向を晒したりとそんなSNS初期時代だ。

今ほどみんなSNSに支配されずに、みんな生きてはいたと思う。

 

そのころとまるで変化がないのは、SNSをやる理由なんて情報収集と承認欲求だ。

よく女優とか芸能人とかモデルとかを、承認欲求が強すぎるだの叩くひとたちがいるけれど、人間とという生き物は承認欲求が強いイキモノである。

自分自身も承認欲求や自分を知って欲しいという考えから、こうやって文章も書く。

写真をSNS上にアップしたり、メモとかログの意味合いで写真も残すし写真も撮るのもやはり好きだ。

 

インターネットの古の時代から、やはり正義を振りかざすひとたちがいたけれど、特にその行為は協力な承認欲求からきている。

自分の意見が認められたい有名になりたいでやっている事だから、その批判なり正義が認められるのはとても快感。

上記を繰り返す人たちは、いわゆる『正義オナニスト』。

そしてもちろんだけれど、自分にもそういう側面はある。

 

コロナの影響も相まってなのか、最近はそれがより激化してるし正義を振りかざす場所が増えた事もあって、よりみんな正義を振りかざす。

マウンティングする心理も同じだし、まぁ生物としての本能かな?と思う部分もあるので、自分にもそういう考えはあるものだと忘れてはならないなぁ。

 

色々考えると人間の業は深いし煩悩も限りない。

それも含めて人間というイキモノが面白いし、やっぱり人間は好きなのである。

 

 

 

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