過去の黒歴史を思い起こす

思うこと

最近色々と話題になっているので、過去の思い出を綴っておこうかと思う。

誰にでもよくある実体験だとは思うんだけれども、自分だけは騙されないと思わない事が大事だと思うので。

 

小学生のクラスで仲がいい女の子ができた。

私は小学生から同級生に虐められていたので、友達がいる事が心の支えになっていたのが前提。

彼女はあくまでおとなしいけど頭がいい、普通の子だった。

家も裕福で、お父さんは確か大学教授か何かで、お母さんは専業主婦のとても幸せそうな家庭に見えたのだ。

ただひとつ私たちと彼女が違ったのは、宗教だった。

もちろん今話題の、霊感商法まがいで献金を強要するような宗教ではない、とは言いたい。

いわゆるそこらへんに教会がある、西洋発祥の教えだ。

はじめて言っておくが、信仰の自由もあるしきっと見ている人にもその宗教の人はいると思うし、きっと教えもそれぞれ色々あるんだと思う。

あくまで私が昔経験した事、としてとどめておいて欲しい。

個人的にその宗教に対して、いまだに嫌悪感もなければ、史跡としてその宗教の建造物はむしろ好きである。

むしろ嫌悪があるとすれば、人間そのものかもしれない。

彼女の家庭は、必ず食事の前にお祈りをした。

ご飯の前にいただきますじゃないんだ、と思ってとても不思議に思った覚えがある。

ちなみにうちは、いわゆる無宗教家庭というか、神社でもお寺でもなんでも手をあわせてしまうしあえて言うなら自然信仰という家庭だった。

そんな家庭に育った私は、彼女の家庭のそういう習慣がとても新鮮に見えたのだ。

もちろんその家族にも、子供である友達にも悪意はなかったと思うが(悪意がないからタチが悪いのだけれど)、徐々に私は友達によって彼女の宗教のコミュニティに取り込まれていくことになる。

最初は普通に一緒に教義の本を見たり、家にある像を見たりするのだが、次第に教会にも連れていかれるようになった。

そしてその教会で同じく信者の子供たちである、いわゆる2世たちと仲良くなっていく。

そう…学校でなかなか虐められて友達ができない私には、無条件で受け入れて遊んでくれる子がとてもうれしかったのだ。

そして、気が付けばその家族の宗教の集いの一泊二日の旅行についていく事になった。

今思えば、私の母親は送り出すのを相当ためらったと思う…もちろん父親も。

でも友達が少ない私が楽しそうにしているのを見て、許してくれたのだろう。

今大人になって思うと、両親に謝罪しかない。

そこで私は、完全にその宗教に洗脳に近い状態にされてしまった。

子供だったからだから尚更だと思う。

別に強要されたわけじゃなかったのだけれど、ずっとお祈りをしてお話を聞いて周りがそれを信じているのを聞いていると、それを信じなきゃいけないんじゃないかという気持ちになるのは当然だった。

家に帰ってその信仰を信じなきゃいけないんじゃないかと泣く私を、母は抱きしめてあやしてくれていたのを覚えている。

こんな事になるならやっぱりいかせるんじゃなかった、と母親も泣いていた。

子供心に、親は泣かせるもんじゃないなってとても後悔と罪悪感を持った事を覚えてる。

それから私は、その子と学校では仲良くしても、彼女の家に遊びにいくのをやめた。

もちろん信仰しなくても友達だったし、普通に接して楽しく一緒に漫画描いたりしてたので、そういう意味ではいいひとたちだったんだと思う。

そして私が高校生になった時の事だった。

彼女には3つ下の弟がいた。

そして私にも3つ下の妹がいる。

私の妹と彼女の弟は同級生だったし、私が卒業した中学校に在籍していた。

彼女の弟の事はおぼえている。

大人しい姉に比べて、弟はとても活発な男の子だった。

小学校低学年までは、普通の子だったのだ。

しかし中学に入って彼は、豹変してしまったのである。

完全にグレた。

煙草を吸い非行に走り、家に帰らず何回も補導されていたのを、同級生である妹からよく聞いた。

うちの母はそんな彼の姿を見て、心を痛めていた。

やっぱり宗教2世は難しいのよね、とつぶやく母の言葉を覚えている。

それからすぐの事だった様に思う。

久々に違う高校に進学した彼女から、一緒にファミレスでご飯を食べようという誘いだった。

結論、彼女は完全なる信仰に支配されていたのだ。

会っていきなりパンフレットを渡されて、わたしは絶句したのである。

それは中絶を反対するパンフレットだった。

彼女は凍り付く私の前で、流ちょうに語り始めた。

中絶は悪、中絶せずに妊娠したら産んで教会に預ければ問題ない、こういう活動に協力して欲しいと。

いや、冗談じゃなかった。

生まれた子供が幸せになるはずがない、お腹で産み育てた子供をそう簡単に手放すなんてできないだろう…高校生の私でも解る事だ。

彼女が自分がその身になったら、本当にそれができるんだろうか?

いや、できるんだろうな…それが信仰なんだろうなと思った。

彼女がレイプされようと何されようと、彼女はその子供を産んで教会に預けるだろうし、むしろ自分ひとりで育てるのだろう。

信仰って怖い、とその時本気でそう思った。

やんわりと断り、その時私の小学校からの友達は死んだという事にした。

それから一度だけ、彼女を成人式で見かけた。

相変わらず真面目な印象でにこやかで穏やかだったが、さかんに会場で自分の宗教の布教活動をしていた。

私は彼女に話しかける事なく、その場を去った。

 

そんな事があったから、今でも思っている。

人は簡単に洗脳されるのだ。

自分だけは大丈夫、と思っていても、いつなんどきどんな形で洗脳されるか解らない。

それから某マルチ系やらなんやらの人の勧誘も多々あったりもしたけれど、そういう気配を見たらどんな仲いい人でも一線を引くようにしている。

昔結婚を約束してた人もいるけど、その人も宗教の影があったので(それは比較的まともな新興宗教)それだけでは原因ではないが、それがひとつの理由にもなっていた事もある。

孤独な人に必ず洗脳は忍び寄るし、いつでも手を伸ばしているといっても過言ではない。

そういう誘いがあったら、必ず誰かに相談する事、一人で抱え込まない事。

孤独を抱えない事が、何よりの回避方法だったりするので、今後も気を付けていきたい。

と、一応吐き出しておきました。

 

でも寺社仏閣も好きだし、教会も好きだよ建造物と宗教学としては!

旅行いけてないので、めっちゃ観光ついでに回りたいと思ってますw

 

 

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました